遺伝学の歴史

ここでは、ゲノム解析が行われるようになるまでの遺伝学における歴史を掲載しています。


1866 植物学者であると同時に神父であったオーストリア人、Gregor メンデルが遺伝学の基礎となる法則を発表した。エンドウ豆を使った交雑実験から得たこの発見は今でこそ有名になったが、当時は30年以上世間から無視され続けた。
1882 ドイツの発生学者Walterフレミングは、顕微鏡でイモリの幼生を観察していたとき細胞の核の中で、小さなひものような物質が分裂している様子を観測した。これは後に染色体だとわかった。
1883 チャールズ・ダーウィンのいとこであり、よい種のみを残していくことにより人類をより優秀な集団にしていこうという考えを主張するフランシス・ガルトンが、優生学という言葉をはじめて使った。
1910 アメリカの生物学者、トマス・ハント・モルガンのキイロショウジョウバエを使った実験により、遺伝により決定される形質には性に関係しているものがあることが明らかになった。さらにこの発見は、遺伝子により決定される形質は染色体に依存していることを確定した。
1926 アメリカの生物学者Hermanマラーは、X線がキイロショウジョウバエの遺伝子に突然変異を起こすことがあることを発見した。
1932 Aldous・ハクスリーの小説、「すばらしき新世界」によって遺伝子工学の不利な面が描き出された。
1944 OswaldエベリーとMaclynマッカーティは肺炎球菌を使った実験により、ほとんどの生物の遺伝物質がDNAであり、タンパク質ではないことを証明した。
1950 イギリスの内科医Douglas Bevisは胎児のRh因子の血液型不適合の診断に羊水穿刺が利用できることを説明した。後にこの出産前診断はさまざまな遺伝性疾患を調べるのに使われるようになった。
1953 アメリカの生化学者ジェームズ・ワトソンとイギリスの生物理学者フランシス・クリックが、遺伝暗号を運ぶ分子、DNAの二重らせん構造を発見、発表した。
1964 スタンフォード大学の発生遺伝学者Charles Yanofsky とその同僚たちは、DNAのヌクレオチドの配列がタンパク質の中のアミノ酸の配列と対応していることを証明した。
1969 ハーバード医学校の研究チームがはじめての遺伝子隔離を成功させた。隔離した遺伝子は、糖の代謝に関連したバクテリアのDNAの断片であった。
1970 ウィスコンシン大学の研究者たちが無から遺伝子を合成させた。
1973 アメリカの生化学者Stanley CohenとHerbert Boyerは、アフリカツメガエルの遺伝子をバクテリアDNAに挿入し機能させた。この成功が遺伝子工学のはじまりであった。
1975 カリフォルニア州Asilomarで開催された国際会議において、科学者たちは遺伝子組み換えを研究するにあたってのガイドライン作りを提案した。
1976 初の遺伝子工学会社、Genetech社が南サンフランシスコで設立された。
1978 Genetech社とカリフォルニア州Duarteの医療センターの科学者たちが、ヒトのインスリン遺伝子のクローン化に成功した。
1980 研究者たちは、タンパク質のインターフェロンをコードするヒトゲノムをバクテリアの中に入れることに成功した。
1980 Martin Clineとその同僚たちが機能遺伝子を別の動物に入れ替えたトランスジェニック・マウスをつくった。
1982 米国食品医薬品局(FDA)がはじめての遺伝子操作された薬品−バクテリアから作られたヒトのインスリンの一種、を認可した。
1983 研究者たちはハンチントン舞踏病の遺伝的標識形質を第4番染色体上で確認した。この成功はスクリーニングテストを可能にしたが、病気は依然として治療ができなかった。遺伝子自体が発見されるのはこの10年後である。
1983 Cetus Corp.の生化学者Kary Mullisはカリフォルニアの高速度道路を走りながらPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)−DNAの断片を高速で複製させる技術、を思いついた。
1984 イギリスのレスター大学のAlec Jeffreysが一人一人の独自のDNAの配列を使った、"Genetic Fingerprinting"と呼ばれるDNA鑑定の技術を開発した。
1985 初のDNA鑑定が犯罪事件の捜査に使われた。
1986 米国食品医薬品局(FDA)がはじめて遺伝操作された人間用のahepatis Bのワクチンを認可した。
1988 ハーバード大学が遺伝子操作された動物−乳がんになりやすいマウス、に対してはじめての特許を取得した。
1989 アメリカの30億ドルかけたヒトゲノム計画を監督するジェームスワトソン率いる国際ヒトゲノム研究所が設立された。
1990 正式に国際的なヒトゲノム計画がスタートした。
アメリカの発生遺伝学者W.フレンチ・アンダーソンが初の遺伝子治療を、ADA欠陥という免疫組織に疾患のある4歳の少女に行った。
遺伝技術によりよみがえった恐竜たちの古生代的テーマパークの、実験の失敗と悲惨な結末を描いたマイケル・クライトンの小説、ジュラシック・パークが出版される。
1991 バークレーにあるカリフォルニア大学のマリー=クレア・キングは、ガンの家系にある女性たちの染色体を解析した結果、第17番染色体上の遺伝子が乳がんの遺伝をもたらし、さらに卵巣がんになりやすくするという証拠を発見した。
1992 米国陸軍がすべての新兵から血液と組織のサンプルを集め始めた。これは戦争で死んだ兵士たちの身元の確認をよくしようとする”遺伝的認識票”プログラムの一環として行われた。
アメリカとイギリスの科学者たちが、膵嚢胞性繊維症や血友病など遺伝疾患のある患者のための、体外での受精卵のテストを行う技術を公表した。
1993 アメリカの国立ガン研究所の生化学者はゲイ男性の家系図と同性愛者の兄弟のDNA対を分析した結果、同性愛に関係する遺伝子もうち少なくともひとつは母親から受け継いだX染色体に存すると報告した。
ジョージワシントン大学の研究者たちがヒトの受精卵のクローンをつくり、ペトリ皿で数日間養育した。しかしこのプロジェクトは遺伝子工学の倫理問題を主張する政治家や批評家からの反対を引き起こした。
ダニエル・コーヘン率いるパリのヒト染色体研究所(the Study of Human Polymorphisms)の国際研究班は、ヒトの全23対のおおまかな染色体地図をつくりあげた。
1995 ノースカロライナのダーハムにあるデューク大学の医療センターの研究者たちが遺伝操作された豚の心臓をヒヒに移植したことを報告した。移植した3つのトランスジェニック心臓はすべて数時間はもったことから、異なる生物間の手術が可能であることが証明された。
元アメリカンフットボール選手のO.J.シンプソンが有名な二重殺人容疑において無罪になった事件で、PCRとDNAによる指紋検査が利用された。
1997 発生学者Ian Wilmut率いるスコットランドのロスリン研究所は、大人の羊の細胞を使ってドリーという名前のクローン羊をつくったことを報告した。詳細はここへ
1998 生物学者クレイグ・ベンターは、2001年までにヒトゲノムをすべて解読し終えるという目標を打ちたてた。
ハワイ大学の科学者たちは、Wilmutのさまざまな技術を使い、マウスのクローンをつくることに成功した。マウスは、12匹のコピーをつくられるどころか三世代のクローンまでつくられた。
二つの研究班が胚の種族細胞を育てることに成功した。
日本の近畿大学が、一頭の牛から取った細胞から八頭の同じ子牛をクローン技術によりつくった。
2003 現在のヒトゲノム計画における、ヒトのDNAすべての配列を決定し終える目標年度