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Title: Tutorial -祖国復帰運動-
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1. 島ぐるみ闘争の効果

50年代末の土地闘争の終結によって、新規接収を黙認していた立法院も、民衆の反戦・反基地意識の高まりを反映して、軍用土地の強制接収に反対する決議をするようになった。しかし裁判所は米政府の圧力に負け、裁判を先送り。怒った民衆が「島ぐるみ闘争」 のように集まってきて、結局、この時期に土地接収通告を受けた軍用地についても強制接収は一件も行われなかった。
このように少しずつではあるが、「島ぐるみ闘争」のようなことが起こらないように 日本政府も米軍政府も根本的に再検討しなければならなくなり、 祖国復帰運動に集約されてきた沖縄人民の諸要求をバラバラに解体させ、 そのエネルギーを低下させるためにはなんとかして、「沖縄返還」を 実現しなければならなかった。 こうして、いわゆる「核付き返還論」が現実性をおびてくるのである。
しかし、日本は非核三原則を守っている国であるそこのところを 解決しなければならなかった。一方アメリカでは日本の方針変更に良心的な態度を示し、日米協力関係の強化を進めていった。のちに、「核付き返還論」から、「核抜き本土並み返還論」に移行させる沖縄住民の運動は凄まじいものがあった。

2. 沖縄本土復帰に向けて

ストを威圧する米軍
ストを威圧する米軍
Credit: Okinawa Prefectural Government


B52機が常駐することについては「命を守る県民闘争」ということで、 反対運動を繰り返していき、再び「島ぐるみ闘争」の予感さえもした。 B52機はいわば、沖縄基地の象徴であり、これを撤廃するということは返還に向けての 起爆力となるとして、沖縄住民は長いプロセスの中2月4日ゼネストを決行した。

海上集会の開催
海上集会の開催
Credit: Okinawa Prefectural Government

1968年4月にあった全軍労のストの成功という実績があったため、沖縄全土にわたってストライキこそ最大の武器であることが確認されていたのである。
このように、沖縄人民の行動もあったせいか、沖縄返還は国民的願望へと変わっていった。そしてついに米政府は1972年、沖縄島は沖縄県として変換され、本土に復帰した。

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