最高裁判所大法廷における大田知事の意見陳述


 大田沖縄県知事は、7月10日、駐留軍用地の強制使用にかかる代理署名職務執行命令訴訟を審理する最高裁判所大法廷において、次のように意見陳述を行いました。


*大田知事の意見陳述

 私は、沖縄県知事の大田昌秀でございます。
 本日は、本法廷において意見陳述する機会を与えていただきましたことに対し、心から感謝申し上げます。
 はじめに、ごく大まかに県が駐留軍用地の強制使用に係る代理署名に応じないで、最高裁に上告するに至った背景について申し述べさせていただきます。
 まず最初に申し上げたいことは、わが県民の間に、平和を希求する気持ちが非常に強いということであります。それは、一つには、去る太平洋戦争末期の沖縄戦で人口の3分の1近くの人命を犠牲にしただけでなく、先人から受け継いだ国宝級の文化遺産がことごとく壊滅させられ、緑豊かな県土が文字どおり焦土と化したからであります。しかし、それだけではありません。沖縄は、1872年頃から1880年にかけてのいわゆる「琉球処分」によって日本に併合されるまでは、琉球という小さな王国でした。そして琉球王国は、古くから武器のない「守礼の邦」として、国外にまで知られていました。
 15世紀から16世紀にかけて在位した尚真王が、武器の携帯を禁止し、諸外国と平和友好的に交易することによって小さな王国を平和裡に維持していくことを国の基本方針としたからであります。
 加えて1609年の薩摩の「琉球侵略」以後、琉球人の反乱を封じるため薩摩が武器の携帯を厳重に禁止したこともあって、島人たちは「平和愛好」の民の名をほしいままにしたのでした。
 そうした歴史的背景を踏まえ、ハワイ大学のウイリアム・リブラー教授はその著『沖縄の宗教と社会』の中で、日本の文化と沖縄の文化は基本的に違う。すなわち日本本土の文化が、「武士の文化」 (Warrior's culture) であるのに対し、沖縄の文化は「非武の文化」 (absence of militarism) であると書いています。また、別の学者は、沖縄の文化は、「女性文化」とか「やさしさの文化」と規定しています。
 沖縄研究者として有名な仲原善忠氏は、12世紀から17世紀頃の歌謡や神歌等1554首を集めた沖縄最古の歌謡集「おもろさうし」を研究し、その中に「殺りく」を意味する言葉がないことをあげ、その意識がなかったことを明らかにしています。
 このように武器を以って争うことを忌み嫌う伝統的な生き方を大事にしているわが県に軍事基地が置かれ、朝鮮戦争をはじめベトナム戦争から湾岸戦争にかけて、米軍の出撃、もしくは兵站基地として使われ、自らの意に反して他国民を死傷せしめる加害者となっていることに多くの県民はひどく心を痛めています。
 ところで、沖縄の軍事基地は、ある著名なアメリカ人記者が、いみじくも「沖縄に基地があるというより基地の中に沖縄がある」と表現したように過密をきわめています。沖縄の面積は、国土面積の0.6パーセント程度に過ぎませんが、在日米軍の専用施設の約75パーセントがこの狭小な県土に集中しています。
 米軍基地は、県土総面積の約11パーセント、沖縄本島の約20パーセントを占めていますが、とりわけ基地施設は、1平方キロメートルあたり2,198人を有する日本でも有数な人口稠密地域である沖縄本島中・南部に集中しています。その上、日米安保条約に基づく地位協定によって29箇所の水域と15箇所の空域も米軍の管理下に置かれています。その結果、陸地だけでなく海も空も自由に使えず、これで主権国家と言えるのだろうかと、県民は疑問を抱いています。
 このような状況下では、産業の振興はおろか、街づくりそのものができません。復帰後、政府は、10年を一区切りとする、三次に及ぶ振興開発計画を策定し、現在まで4兆数千億円の資金を投下して、インフラの整備を進めてきました。
 その結果、道路や港湾等は相当に整備されましたが、残念ながら振興開発計画の基本目標である本土との「格差是正」と「自立的発展の基礎条件の整備」は思わしくありません。何よりも、自立的発展に結び付く産業の育成ができていません。県民の一人当たりの年間所得は、全国平均の約74パーセント程度で、東京都の半分以下、全国で最下位の状態が今日まで続いています。おまけに失業率も約6パーセントで全国平均の約2倍という状況で、とりわけ10代、20代の若年者の失業率は約12パーセントに及び深刻です。
 過重な基地負担によるしわよせだけでなく、地場産業の育成が困難で都市形成そのものにも大きな支障を来しています。わが県では、県都の那覇市はむろん、浦添市、宜野湾市、沖縄市等の主要都市は、いずれも、基地の周辺にゾーニングもされないままスプロール化してできたものです。到底、自然災害等に耐えうるものではありません。したがって、県民の命と暮らしを守るためには、消防車や救急車が入っていける秩序のある街づくりが不可欠です。
 一例を挙げますと、嘉手納飛行場のある嘉手納町は、町面積の約83パーセントが基地にとられ、残りの17パーセントの地域に約1万4千余の人々がひしめいています。このような状況で、人間らしい社会生活を営むことはおよそ不可能です。
 こうした実情からも窺えるように、戦後沖縄の最大の問題は基地問題であり、とりわけ軍用地の強制収用の問題といっても決して過言ではありません。
 軍用地の強制収用といえば、戦前にも戦時中にもありました。1879年の廃藩置県に先立ち、1875年に明治政府は琉球王府に対し、日本化に向けて旧来の中国への使節の派遣や冊封の廃止、日本年号の使用などいくつかの改善を指示しました。指示事項の中には熊本の第6師団の分遣隊を沖縄に常駐させることも含まれていました。
 琉球王府は、他の指示事項は全て受け入れましたが、「日本軍の常駐」の件については、頑として拒否しました。琉球王府は、「南海の一小孤島に過ぎない琉球にいくら軍備を増強しても敵国に対処することはできず」、「小さな島国に軍隊を置けば、かえって外国から危険視され、侵略を招く恐れがあり」、「軍事力を持たずに柔よく剛を制するのたとえのとおり、むしろ礼儀正しく友好的に隣国の人々と付き合うことによって、国を平和に維持することが賢明である」と主張したのであります。
 しかし、明治政府は「 政府は国土人民の安寧を保護するのが義務であり、どこに軍隊を置くかは政府が決定することである。他がこれを拒む権利はない」として、一方的に派兵を強行しました。すなわち、分遣隊の兵営や練兵場、射的場、病院などに必要だとして首里と那覇との間にある古波蔵という所に約6万1,600平方メートルの軍用地を選定し、すかさず強制的な買い上げにとりかかったのでした。琉球王府は、古波蔵の予定地は肥沃で優良な農地であることから、代替地を無償で提供する条件まで出して明治政府の再考を要請しましたが、明治政府は、これを拒否し、当初の予定どおり古波蔵を分遣隊の駐屯地に決定したのです。
 こうして、かつての「平和国家」沖縄も、軍国日本と歩みをともにせざるを得なくなりました。これが、沖縄の基地化の端緒といわれています。
 この事例が示すとおり、地元の意志に反して、中央政府の政策が優先的に強行されるありようが、その後も一貫してみられました。
 戦時中には日本防衛の名において、農地が半ば強制的に飛行場用地として収用されました。 戦後は戦後で、戦時中の軍事占領下さながらに、米軍の発した布令・布告による土地の強制収用が続いたのです。戦災で戸籍簿をはじめ土地台帳等をすべて失った結果、個々人の土地の所有権の確認は困難をきわめました。それも米軍による恣意的な土地収用を容易にしたことは否めません。ここで地権者の同意も得ない一方的な土地収用の法的根拠や内容についてふれるゆとりはありませんが、県民が常に口にする、いわゆる「銃剣とブルドーザーによる」強制的な土地収用というのが、その実態であります。
 1953年から1956、57年にかけて沖縄では、「島ぐるみの土地闘争」がありました。その間、沖縄からは、二度にわたって行政の最高責任者一行が米国を訪問し、問題の解決に努めました。現在の強制使用問題は、ある意味ではその再現とも言えます。
 ところで、戦前から今日にかけて土地問題に一貫して見られる特色は、強制収用の対象地の多くが農民の土地だということであります。古来、沖縄は農業が基幹産業でした。生存の基盤となる農地を失った農民たちは、安住の地を求めてボリビアなどに集団で移住するか、生業を捨てて軍事基地で働くことを余儀なくされました。諸記録が示すとおり、祖先崇拝の念の厚い沖縄では、一般住民にとって土地は、単に作物をつくる土壌とか、売買の対象となる物品ではありません。土地は、言うならば、祖先が残してくれたかけがえのない遺産であり、祖先と自分を結びつけてくれる心の紐帯を意味しています。
 それだけに県民の土地に対する執着心には根強いものがあり、したがって、土地の強制収用に対する住民の反発も大きいのです。この点と関連して指摘しなければならないことは、本土の基地の87パーセントが国有地なのに比べ、沖縄のそれは、民有地が3割余を占めていることです。とりわけ、基地の集中する沖縄本島中部地域においては、約75パーセントが民有地であります。加えて、騒音防止協定の締結が遅れたことや演習の形態等に見られるとおり、本土と沖縄の基地の間に差異があることに県民は差別的処遇だとして不満をつのらせています。
 その上、米軍基地から派生する様々な事件・事故が跡を絶たず、昨年発生した少女暴行事件のような、許されない凶悪事件も繰り返し起こっています。
 沖縄の日本復帰に際し、国会ではすみやかに基地の整理・縮小を行う趣旨の決議が採択されましたが、それはほとんど実現しませんでした。
 県民は、いわゆる冷戦構造が崩壊し、ようやく沖縄の基地の整理・縮小が進むものと期待していました。しかし、昨年2月に発表された米国防総省の「東アジア戦略報告」によれば、東アジア・太平洋地域における米軍駐留は10万人体制が維持されることになっており、また、昨年の11月に行われる予定であった日米両国首脳会談では、日米安保条約の再評価を行い、日本の米軍基地をよりグローバルな視点から運用を見直すのではないかと懸念されていました。これらのことから、県民は、21世紀にわたって沖縄の基地機能がますます強化され、固定化されるのではないかと強い危惧の念を抱いたのです。
 このような状況下で、行政の責任者としては、さらなる基地の強化・固定化を受け入れることは困難でした。したがって、駐留軍用地の強制使用に係る立会・署名には応じることはできませんでした。この決断は、県民から負託を受け、県民の命と暮らしを守る行政の責任者としてやむを得ない選択であったと思います。このことは、安保条約の即時廃棄を求めるものでもなければ、日米の友好関係を損ねようとするものでもありません。 改めて申し上げるまでもなく、立会・署名の拒否によって、基地問題が一朝一夕に解決するとは思っていません。県民は、戦後50年もの間、基地と隣り合わせの生活を余儀なくされ、その重圧に苦しんできました。その意味では十分に安保条約に協力してきたといっても過言ではありません。
 1972年の日本復帰は、平和憲法の下への復帰であり、沖縄にとって名実ともに、一大転機となるはずのものでした。復帰に際し、県民が切実に求めたのは、少なくとも本土並みの基地の縮小であり、人権の回復、自治の確立でありました。
 しかしながら、復帰後約4半世紀経った現在も、沖縄の状況はほとんど変わっていません。依然として広大かつ過密な基地は存在し、基地に起因する事件・事故や基地公害も絶えることなく発生しています。これは、県民が望んだ日本復帰とはほど遠いものです。地位協定2条は、安保条約に基づき日本国内のどこにでも基地を置くことが許される、いわゆる「全土基地方式」と言われています。ですから、なぜ沖縄だけが過重な負担を背負わなければならないのか、理解に苦しむ点です。
 沖縄の多くの人々は、自らの苦しみを他所へ移すことは望んでいません。
 しかし、安保条約が日本にとって、重要だと言うのであれば、その責任と負担は全国民が引き受けるべきではないかと思っています。そうでなければ、それは差別ではないか、法の下の平等に反するのではないかと県民の多くは主張しているのです。
  沖縄には約127万人もの国民が生活しています。この度の職務執行命令訴訟においては、憲法が国民に保障する財産権、平和的生存権などの基本的人権の問題や地方自治のありようなどが問われていると思います。このような意味から、沖縄の基地問題を全国民が自らの基本的人権の保障にかかわる問題として、主体的に取り組む必要があると考えます。
 その意味で沖縄の基地問題は、単に沖縄という一地方の問題ではなく、日本の主権と民主主義が問われる、すぐれて日本全体の問題ではないでしょうか。
 私は、これらの基地問題の解決を図るため、5度にわたる訪米をはじめ、機会あるごとに、日米両政府に基地の整理・縮小や基地被害の未然防止などについて、要請してきました。それが実り、去る4月に発表された「沖縄における施設及び区域に関する特別行動委員会(SACO)」の中間報告では、普天間飛行場の全面返還が決定されるなど、本県の米軍基地の整理・縮小に一定の前進が見られました。しかし、ほとんどの施設の返還については、県内の既存の施設・区域への移設を前提としているため、基地の増強として関係自治体や住民から強い反対の声が出るなど、厳しい状況にあります。
 基地移設の判断をされる方々には、是非とも現地をご覧になって、そこに住む人々の生活、自然環境、生態系などに及ぼす影響を十分に検討されることをぜひとも求めたいと思います。
 これまで、沖縄の歴史は、他律的に決定されてきました。沖縄県は今、自らの意志で、2015年を目途に計画的かつ段階的に米軍基地の返還を求める「基地返還アクションプログラム」を作成し、21世紀の沖縄を方向づける「国際都市形成構想」の策定を進めています。
 これは、基地のない、自然災害にも堪えうる平和で緑豊かな沖縄を築き、国内はもとより、アジア諸国等と技術、経済、文化等、「人」「物」「情報」の交流が図られる文字通りの国際都市を目指すものであります。
 私は、基地を平和と人間の幸せに結びつく生産の場に変え、本県の地理的特性とアジア太平洋諸国との長く友好的な交流の歴史を活かし、日本とアジア、そして世界を結ぶ平和の交流拠点となる国際都市の形成に、沖縄の未来を託したいと思います。
 終わりになりましたが、最高裁判所が、憲法の番人として沖縄の基地問題について、積極的に御判断されることを、県民は期待しています。
 最高裁判所におかれましては、憲法の理念が生かされず、基地の重圧に苦しむわが県民の過去、現在の状況を検証され、憲法の主要な柱の一つとなっている基本的人権の保障及び地方自治の本旨に照らして、若者が夢と希望を抱けるような、沖縄の未来の可能性を切り拓くご判断をして下さいますよう、心からお願い申し上げ、私の意見陳述といたします。


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