|
Blue Peace! |
Top | Introduction | Data | Discuss | Search |
| |||
| |
|||||||||
| Contents:
Messages [Ikuya | Masaki
| Hiroki] |
|||||||||
最後に、沖縄米軍基地問題を通じて平和を考えてみたいと思う。ここでは、平和といっても個人レベルでの平和ではなく、島民などの大きな集団としての平和を考えてみる。
今まで書いてきたとおり、沖縄には現在までに、いろいろな悲劇が訪れた。
今でも、その傷跡は残っており、多くの米軍基地が沖縄にあり、それに関連する事件も絶えない事に加えて、過去には日本から侵略され、日本で唯一、地上戦が行われ、戦後も米軍の支配下に置かれた。では、米軍基地が沖縄にある原因は何だろうか?
直接的原因は第二次世界大戦にあることは間違いないだろう。しかし、終戦後、第二次世界大戦敗戦のしわ寄せが、何故、沖縄に多く行ってしまったのかと言う事を考えてみると、それは日本本土の国民が沖縄を「別のもの」として、ある意味、軽く扱っていた事にあるのではないかと思う。
そして、それが何故かを考えてみると、琉球王国が日本の薩摩藩に侵略された事に戻ってくる気がする。
第二次世界大戦にしても、薩摩藩の侵略にしても、結局は、戦争なのである。よってここから、大きな平和を乱すのは、戦争などの争いであると思うのである。
しかし、沖縄米軍基地は、戦争をするために存在している。そして事実、朝鮮戦争、ベトナム戦争などに使われてきている。そこに大きな矛盾が生じてくる。
戦争で出来た傷跡を戦争に使っているのである。そこから、僕は、沖縄米軍基地を無くさなければならないと考える。
人間は学ぶ生物である。戦争から反戦意識を学ぶべきである。戦争で負けた傷跡を戦争に使っては何の進歩にもならない。
しかしながら、沖縄米軍基地を無くすのは難しいのが現状だ。それは、米軍基地には存在する理由があり、日本国民の多くがそれに納得しているからだ。
沖縄米軍基地は、日本の戦争責任により作られ、日本の平和を守るため、そして、太平洋のキーストーンとして、太平洋周辺の平和をアメリカが守るために建設されているという事である。ただ、上の理論は本当に正しいのかと言う事を、考えてみたい。
平和というのはアメリカが守るものなのだろうか?平和とは何なのだろうか?
僕は、集団においての平和とは、個人個人の理想の社会に近づける事だと思う。偏った人々ではなく、地球上の全ての人々が平等に良い環境になる事こそ平和であるわけである。つまり平和とは、多くの違った理想に、いかに近づけていくかという妥協の方法、そして、その望みだと考える。
その観点からアメリカの行動を見ると、明らかに間違っている。
太平洋の平和をアメリカが守る…。これは、アメリカの見地から見れば守っているのかもしれない。しかし、それは、アメリカの、もしくはアメリカを中心とする民主主義国の平和を押し付けてはいないだろうか。どこにも、民主主義社会における平和を、世界中の国々が望んでいると言う証拠は無いにもかかわらず、民主主義が確立されていない国に、選挙を実施させ、形だけの民主主義を強制導入させたりするのは、どうも納得がいかない。
では、私達に今、最も求められているものとは何なのだろうか?
今までにも書いてきたように、集団によって、平和に対する価値観は違う。例えば、 ここで、日本語の平和と英語のpeaceに関して、意味の違いを見てみよう。日本では、「平和」は、「和を平にする」つまり、 日本独特の価値観である和が重要視される。しかし、アメリカのpeaceの意味はNo Warとされ、 戦争の無い事とされている。
ここからも、国や個人において、平和の理想が違うのは明らかである。価値観が違う人たちに自分達の平和を押し付けてしまったら、うまく行くわけが無い。
だから、今、私達が目指すべきもの、それは、自分の目指したい平和な社会について、現在よりも主張し、そして、他の平和に関する価値観を知る事である。そして、他の立場を考えながら、自分の価値観における平和を希求することだと思うのである。
私達の活動が、平和の希求に少しでも役に立つ事が出来れば、幸いである。Ikuya Yamada, Project YMO
Copyright (C) 1998 Project YMO