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Title: Tutorial -沖縄戦の表と裏-
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1. 沖縄戦の本当の意義

沖縄戦は表向きは、「国体護持」のために沖縄を守るということだったが、最近の資料により、沖縄で戦争をするということが 運命付けられていたことが分かってきた。
そのとき、フィリピンの日本軍は米軍によってほぼ壊滅状態に陥り、次は台湾・南西諸島が攻撃 されることが目に見えていた。
この頃、天皇側近の近衛文麿は、敗戦必至の状況を天皇に上奏し、戦争終結を進言した。これに対し天皇は成果を上げてからにしたいと答えたという。 日本にはもう戦力がないのになお、戦えというわけである。その戦場は南西諸島、つまり沖縄であり、沖縄がやられている間に、 戦争終結の手段を探ろうという方針だ。こうして国体護持のための盾として、沖縄戦が決定したのだった。

2. 米国の攻撃

沖縄に上陸する艦隊
沖縄に上陸する艦隊
Credit: Okinawa Prefectural Government

4月1日、沖縄本島中部西海岸に集結した米軍は艦船約1400隻、 18万3千人の兵員、加えて補給部隊54万人というとほうもない大戦力であった。 これを迎え撃つ日本軍は沖縄で戦動員した3万人を含め、12万人の戦力。 兵器兵員ともに比較にならない戦闘で、それは後に「鉄の暴風」と呼ばれた通り、 雨よあられよと降り注ぐ米軍の砲撃の下を逃げ惑うばかりの戦いとなった。

上陸する米軍
上陸する米軍
Credit: Okinawa Prefectural Government

飛行機による空爆、艦船からの艦砲射撃、地上戦での砲撃、どれもひどいものばかりであったが、なかでも残酷極まりないのが「馬乗り攻撃」だった。これは、沖縄語でガマと呼ばれる天然洞窟内に避難した住民を殺戮するために、洞窟の出入り口や 天井にドリルで穴を空け、そこからガソリンを流し込み火炎放射器を撃つあるいは 爆雷やガス弾を撃ち込むという攻撃だった。

 

3. 日本軍による殺戮

犠牲になった子供
犠牲になった子供
Credit: Okinawa Prefectural Government

しかし、沖縄人の敵は、米軍だけでなく日本軍でもあった。極限状態の中で、さまざまな理由がつけられて沖縄人は日本軍に殺されていった。
理由にもならないものばかりだが、まずスパイ容疑。
沖縄のお年寄りにはヤマトグチ、つまり標準語を話せない人がたくさんいた。 一方本土からきた日本兵は沖縄の方言が理解できない。戦局が悪化するにつれ追いつめられた日本兵は、方言を話したという理由だけで無実の沖縄人を スパイ容疑で殺したのである。
食糧供給を渋ったために日本軍に殺された人もいた。「皇軍に非協力」という理由のもとに。さらに、 沖縄戦が始まり米軍に追いつめられるようになると日本軍はなりふりかまわず食料を 求めてきた。民間人の有力者をスパイとしてでっち上げたり、名簿まで作って人々を殺害したりして、食料を奪ったのだ。昼は米軍から逃れ、夜は日本軍から逃れるというのが当時の 沖縄人の生活だった。
他にも、たまたま米軍の投降勧告ビラを持っていたために殺害されたり、砲弾の 降りしきるなか水汲みや弾薬運搬を命じられそれを渋ったために殺されたりした。

4. 集団自決

集団自決した住民
集団自決した住民
Credit: Okinawa Prefectural Government

そして最も悲劇的だったのが、いわゆる集団自決だ。
沖縄本島以外にも米軍が次々に上陸し、日本軍は持久作戦を展開した。島の住民たちは「皇民として捕虜になることは許されない。敵軍が上陸すれば自決しろ」という皇民教育を 叩き込まれていたため、肉親や友人、知人が互いに殺しあった。
沖縄戦の後半以降、この集団自決が各地で発生した原因も、日本軍の時間稼ぎのための持久戦にあった。戦闘を避けるために、住民が避難生活を送っていたガマ壕へ、日本軍の残存兵がなだれ込み、住民たちのガマからの追い出し、食糧の強奪、殺害などが相次いだ。泣き声が外に漏れるのを恐れて、赤子や幼児を母親に殺させる事も多かった.
親が子を殺し、子が年老いた親を殺し、友人知人同士が殺し合い、 村民が手榴弾でまとまって自決する…。これらのことが日本軍の強制によって行われ。 また、沖縄人自身の「戦陣訓」などによって、投降は許されないと考えた多くの人々が 自ら死を選んでいったのだ。文字どおり、強制された狂死。
日米の戦闘員の死者を合わせたより、さらに多くの沖縄住民が、 こうして無惨な死を遂げていった。

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