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歴史解説
誰が最初のアメリカ人かと問われれば彼はアジアからベーリング海峡を越えたインディアンだと答える だろう。
これらのインディアンはアリゾナに留まるだけではなくいくつかの小グループは食物を 探しながら紀元前南下し中央アメリカに留まる者もあった。マナグア湖畔においては火山が爆発した 1万年前より人がいた形跡(足跡)が見られる。最初の開拓者たちはどう地域が火山灰やミネラルなどに よりとうもろこし、豆などの食用作物の好生育地域であることを発見した。 彼らは食物不足は決して心配する必要がなかったので定住生活を始めた.ニカラグアにおいては東部に おいて小規模な農業コミュニティーが発達したのみで隣国であるマヤ、アステカ帝国などの文明は発達 しなかった。彼等の発達した証拠としての大規模な建造物は存在しないものの極めて手先が器用で複雑な 石器、土器、金細工品が残されている。 スペインルールは奴隷としてつれていかれた者や征服者達が持ってきた 大陸病により死亡せずに残ったインディアンたちに強制された。西部だけでスペイン人によりどう 制服期間内において数万人が無くなったと想定される。 さらに調査によれば50万人以上が 奴隷としてペルーやパナマに送られた。ほとんどの奴隷達は劣悪なコンディションの為に輸送中或いは 現地に就いてから1〜2年以内に死亡したと言われている。多くの人達が絶滅されたとされるがいくらか の人は生き延びた。 このドラスティックな人口の激減はスペイン人が現地を統制変化を託す主要因と はならなかった。征服者がくる前においてはインディアン達はカシケ(村の親分でスペイン人達は彼を 金などの採掘に際して奴隷を統制する為に利用した。)のもとトウモロコシ、豆、胡椒、カボチャなどの 農産物を労働集約的に栽培していた。一般のインディアンは年貢としてカシケに農産物を納め残りは家族 で食べるが市場で販売した。しかしながら奴隷制度により農業人口が激減し農作地は再びジャングル化し 人が住めないようになっていった。又、スペイン人も彼等に金、銀、木材、牧畜等スペイン本国或いは 他の植民地に輸出する為の産業を数百年に渡って行われてきた主要穀物農業に変わって強要してきた。 又、スペイン人と比較してかなりの数に昇ったインディアンもこれら産業に労働力の提供を行ってきた。 これらの行為自体は極めて悪い状況であったわけではなくそうであったのはこれらの富の大部分がわずかな 白人のみを裕福にし彼等自身の手に渡らなかったことにある。 征服者がその宗教、言葉、習慣を彼等に強 要しようと試みた結果として古来の文化がドラスティックに変わっていった。しかしながら町や多くの アイテム名はニカラグア固有の物が、さらにインディアンの習慣も残されていった。しかしながら宗教に 関してはカトリックが統一的に導入された。新しい町。例えばグラナダ、レオン等はスペイン式の 町として広場、市場、協会、行政府が建設された。 又、征服者は社会システムの中に新しい層を 形成していった。中央アメリカにおける新世界発見以前においては階層制が存在したがスペイン人は その頂点に立つものであった。変化したものといえばどう階層は人種によって決定されたことである。 スペイン系が異なった最も高いクラスを形成し直系、或いは直系子孫にこれが当たる。その他の貧困層に 関してはスペイン人との血のつながらいの度合いによって分類され彼等はメスティソと呼ばれスペイン人 の父とインディアンの母間に生まれた人物である。彼等は同サブシステム上のトップを形成し土着の ニカラグア人は最下層であった。 526ー1821年間はニカラグアはスペインによって統治され同植民地であった。
イギリスの海賊がカリブ沿岸を荒らして
はいたものの概ね平和と繁栄を同期間享受していた。1700年の間イギリスはミスキートと同地域を
統治していた間アメリカのグループがスペイン支配に介入しだした。同世紀中頃から終わりにかけて
モスキーと海岸(カリブ側)はイギリスの独立地として考慮されていたがアメリカ独立運動の期間である
1775ー1783年にニカラグアは戦争を挑み敗北によりさらにイギリス支配は強固になった。
アメリカと違って中央アメリカは植民地ルールからほとんど暴力無しに正式な独立に移行することを行った。 メキシコのやり方をついでスペイン支配を1821年中頃終息させた。1822年1月中米は アグスティン率いるメキシコ帝国に合併。 その後メキシコとの関係に疲れ今のチアパスの州の部分 となったが再度独立を宣言した。その時より1838年までうわべだけの連合である中米連合を形成した。 最初は連合による統一はすばらしいアイデアと考えられ多くの人が浮き足立っていた。 彼等は中米が5つの小国であるよりも統一により政治経済的に強固になる可能性を秘めていると理由つけた。 しかしながら初期より強固な反勢力が同連合を破壊しようとした。最初に気にくわなかったのはグアテマラ に45議席のうち18議席を与えたことにありそれにより政治的圧力が兄弟であったこと。 2番目として1824年の憲法が各国の自由と独立を認めていたことである。
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