マナグア大震災


マナグアは昔、そして今でもニカラグアの一番重要な都市です。1972年には国の人口の 1/5がマナグアにすんでおり、中央銀行、ビジネス、などすべてマナグアに集まって いました。日本の場合、東京、大阪、名古屋、札幌、などいろいろな都市にいろいろな 企業などがあつまっていますが、ニカラグアの場合は、すべてがマナグアにありました。 国々に散らばっている重要都市がひとつしかないと考えてもらうとわかりやすいでしょう。 その重要都市がひとつしかないから多くのひとはマナグアに集まるのです。

1972年 12月23日、午前12:27に連続する三つの地震がマナグアの中心部をおそいました。 1つ目の地震は横にゆれた。後の二つは縦ゆれでした。その地震の結果、市の大部分が破壊 されてしまいました。
ニカラグアの前の大聖堂
マナグアの古い大聖堂は地震で崩されてしまいました。 コピーライト: Ministry of Tourism
40万にんもいたマナグアの人口から2万人なり、さらに25万人 もの人がホームレスになってしまいました。すべての市民はガスや水、電気不足にのためにいったん 町を離れなければなりませんでした。

マナグアの住民は地震のあとのショックもさめないうちに病気や泥棒などを避けるために田舎に 疎開させられた。地震のあとの被害にあった会社や店に入り込んでテレビやラジオ、家具などを盗む ひとたちも少なくはありませんでした。軍や警察は病気などを避けるためにすべての死体を 焼くことを命じられました。四つの大きな病院も破壊されたため病院の外で手当てが行われました。 ですが、人手も足りなくてすべての人が治療を受けたわけではありません。

ニカラグアのダウンタウン(市中心部)はマナグア湖のすぐそばにありました。そして地震の震央は 6.3度とほかの大震災と比べてそれほど強くはなかったのですが、土地が高さ1400メートルという それほど高くない高さに位置していて、ニカラグアは火山が多いため多くの家が石と壊れやすいしっくいで できているし、マナグアは炎の円(火山の集まりで太平洋側に位置している)に囲まれていて、被害は 相当なものでした。

セントラルアヴェニュー(メインストリート)は震央から3キロメートルの範囲がすべて破壊されていま した。銀行、ホテル、政府の事務所なども多くなくなり、最近はそれらの建物のいくつかが立て直されて います。ザ・グランドホテル、ニカラグアでも一番高級であったホテルも破壊されました。人々は今でも 住所を言う時にグランドホテルなどを目印にして案内する場合も多いです。国の約50%の商業はマナグア に位置していました。90%の小さなビジネス(車修理など)も地震の被害で壊されてしまったのです。 しかし、マナグアにあった70%の製造工業は市中心から少し離れていたため、多くの企業は地震の被害 を逃れることができました

マナグアの人口多くのホームレスの人達はもちろんいられる場所がありませんでした。そのため、球場、 学校、公園などで夜を過ごす人も多くなりました。マナグア付近の町や村は数日で人口が倍になり、すべて のもの、とくに家の値段が急に上昇しました。

地震の被害は約10億ドル、他の国々でおこった大地震と比べて大きな額ではないのですが、1972年の 国民総生産は7.6億ドルで政府の予算が1.2億ドルでした。それにほとんどすべての企業などがマナグア にあったため、多くが被害にあったため、政府は市を作りなおすために仕様できた所得の多くを失いました。

他の国の政治や、国際組織が急いでお金や食物などでニカラグアの援助に取り掛かりました。しかし町の 多くは今でも立て直されていないままです。ニカラグア人はこれを以前の大統領ソモサのせいだと彼を責めました。



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