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イルクーツクの市内観光を始めましょう!
今、イルクーツク国立言語大学にいると想像して下さい。私たちの大学は中央広場の近くにあります。その広場はキーロフ広場です。そして、そこから私たちの観光が始まります。イルクーツク要塞はヤコフ・ポハーボフと言うコサックの部隊によって1661年に建てられました。イルクーツクと言う名称はイルクート川から付けられ、 急流の川辺にある町と言う意味です。彼らは要塞を作るためにとても便利な場所を選び、アンガラ川とウシャコフカ川の合流地点に築きました。そして川の反対側に高い壁を築きました。今その場所は歴史的三角形と呼ばれています。なぜならば、そこには三つの教会があり、そのうち二つのはロシア正教会でスパスカヤ教会とボゴヤブレニヤ大聖堂です。あとの一つはカトリック教会でポーランド・カトリックと言います。1672年に要塞の中に最初の教会が建てられましたが、18世紀の初めに火事で消失してしまったので、今は存在していません。その教会は木造でしたが、1710年に同じ場所に今度は石造りのスパスカヤ正教会が建てられました。ソ連時代にはスパスカヤ正教会は使われていませんでしたが、1982年に復元され、現在イコンの博物館として利用されています。教会の外壁にはスパス聖人とミトロファン聖人とニコライ聖人の聖像画が描かれています。さらに、その教会は19世紀の始めに描かれた壁画で知られています。その壁画は三つの場面に分けられています。真中の壁画の主題はキリストの洗礼です。左の壁画は原住民ブリャート人の洗礼が描かれています。右の壁画はイルクーツク州の最初の主教イノケンチー・クリチーツキイが描かれています。 次の教会はボゴヤブレニヤ大聖堂です。その建設には長い年月を要し、1718年い着工し1730年完成しました。
ポーランド・カトリック教会は19世紀末に建てられました。その建設のためにシベイアに流刑されたポーランド人がお金を出し合いました。現在では礼拝式が行われ、パイプオルガンコンサートもよく行われています。それらの教会のそばには永遠の火があります。それは1975年に第二次世界大戦に参加したシベリア軍の兵士の記念として設けられました。記念碑の回りに戦場から持って来た土を入れたカプセルが埋められました。伝統によると結婚式の日に新婚夫婦が感謝として花束を捧げます。永遠の火から川にわたって少し行くと、ベロボロドフの記念碑があります。彼は第二次世界大戦に戦ったシベリア軍の大将でした。その記念碑のそばにある展望台の高さは昔そこにある要塞の壁の高さと同じぐらいで7メートルあります。
そして、キーロフ広場周辺にはいろいろな官庁があります。 例えば、18世紀に建てられた現代のイルクーツク市役所や、1950年代に建てられた今のイルクーツク州政府などがあります。1932年までその場所にはロシア中四番目に大きい、立派なキリスト・カザン大聖堂がありました。その大聖堂はソ連時代に爆破され、残った破片を運び出すために広場にレールをしきました。そして、その破片を運び出し始めてから一年たっても、破片の量が膨大で運びきれず、その後、その破片を広場にまき、その結果、広場は1メートルもの高さの瓦礫に埋まりました。2000年には爆破された大聖堂の記念にイルクーツク州政府のそばに小礼拝堂が建てられました。
アンガラと言うホテルはイルクーツク市内で最初の5階建てよりも高い7階建ての建物です。キーロフ広場は年齢に関係なく全てのイルクーツク市民に愛されています。そこでは人々が休んだり、友達と話したり、試験の準備をしたりしています。そして、広場のそばにある東シベリア石炭工業管理局には昔チフウィンスカヤと言う教会がありました。その教会もソ連時代に壊されました。
レーニン通りはイルクーツクの最も美しい通りのうちの一つです。そこには多くの歴史的な建物が並んでいます。国立中央銀行、国立医科大学、市立診療所(以前はロシアとアジアの銀行の建物)、レーニン像(その場所には昔ルーテル教会がありました)などです。レーニン通りの反対側にはイルクーツク美術館(昔の男子校)、バイカル国立経済大学などが並んでいます。
1686年にイルクーツクは都市の地位を与えられ、村から都市になりました。1686年までにイルクーツクは非常に発展しました。モンゴルや中国との貿易が活発に行われ、中国茶、絹、鉄製品などがイルクーツク市を経由してロシアに運び込まれました。そして、文化も経済も政治もレベルが高くなりました。その結果、イルクーツク市の商人たちはロシア中で最も裕福になりました。 その商人たちの邸宅は主にカール・マルクス通り(旧ボリシャヤ通り)に建てられ、それは今でも見ることができます。それらは100年くらい前に建てられました。その中で、コリギンやクズネツォフやペステレフやバザノフなど商人たちの館があります。以前プロソヒンと言う商人の邸宅だった建物は、現在、自然博物館になっています。マルクス通りとレーニン通りの交差点のそばに、イルクーツクで最も歴史のあるフドジェストウェニイ映画館があります。 マルクス通りは歴史がありますが、今でも若者に人気のあるにぎやかな通りです。マルクス通りにはストラトスフェラと言うナイト・クラブがあります。
マルクス通りとレーニン通りの交差点はとても有名な場所です。そこには昔の商人たちの劇場があり、その近くにイルクーツクフィルハーモニーもあります。昔、その建物で初めて映画が上映されました。そこではバレエを見たり、有名な歌手のコンサートや詩人の朗読会を聞いたりすることができました。そして、その近くに「ツルド」スタジアムがあり、そこではスポーツ試合やロシアのスターのコンサートが行われています。
マルクス通りをアンガラ川に向かって歩いて行くと、オホロープコフの記念のアカデミードラム劇場が左手にあります。その劇場はイルクーツク州だけでなくロシアでも有名です。もう少し行くと、川岸に出ます。そこは若者たちにとても人気があります。ナイト・クラブも喫茶店もあり、散歩をすることもできます。そこにはイルクーツク総合大学の歴史学部や理学部などの建物や図書館が並んでいます。昔、現在イルクーツク総合大学の図書館となっている建物は、その昔は東シベリア総督官邸でした。ですから、今その建物はホワイト・ハウスと呼ばれています。
最も人気があるデートスポットは、アレクサンドル三世の銅像の周辺です。その銅像は、シベリア横断鉄道完成記念碑とも呼ばれています。と言うのは、アレクサンドル三世がシベリア鉄道を作ったからです。皇帝の銅像はシベリアコサックの大将の制服を着ています。 しかしながら、残念ながら1917年の革命の後、その皇帝の銅像は取り除かれ、その代わりに台の上にコンクリートのあまり魅力のない柱を作りました。その時から記念碑はオベリスクと呼ばれるようになりました。その後、オベリスクは40年間そこに立っていましたが、2003年の夏に取り除かれ、再びサンクト・ペテルブルグで作られたアレクサンドル三世の像が戻りました。記念碑の台座を是非御覧になってください。その像の台にはコサックの隊長とスペランスキーとムラビョーフ・アムルスキーと言う東シベリアの総督達の顔が浮き彫りにされています。その他、シベリアのすべて都市の紋章も彫られています。双頭の鷲の像はロシア皇帝の権力を表しています。
これで、イルクーツクの市内の観光を終わります。どうもお疲れ様でした。
この観光が皆さんのよい思い出となりますように。
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