18世紀後半に起こった産業革命は、建築の世界に多大な影響をもたらした。機械による大量生産、鉄・ガラスを代表とする新たな建材が原因である。しかしながら、これらの新建築には、大量生産にありがちな美的水準の低下をもたらした。それが工業化による労働条件の低下などの理由と重なって、19世紀中頃、イギリスのW・モリスによって工業・資本主義を否定し中世にその理想を求めたアーツ・アンド・クラフツ運動が起こる。
W・モリス
この運動は、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのフランス・ベルギーを中心とした一大芸術運動、アール・ヌーヴォーに引き継がれる。フランス語で「新芸術」を意味するこの運動は、有機的で官能的な曲線による装飾をその特徴とし、工業製品の無機質さと相反するものであった。代表的建築物としてはカステル・ベランジュ(H・ギマール、パリ、1895)が挙げられる。
カステル・べランジュ
また同時代、各地において新芸術運動とも言うべき運動―ドイツ表現主義(ウィーン・ゼツェッシオン)やロシア構成主義―が起こっているが、その起因である社会背景こそ違うものの、資本主義や工業化を否定するという意味では同じである。
1920年代に起こったアール・デコは、これらとは一線を画すものであった。直線と曲線を組み合わせた幾何学的形態を主とするアール・デコは、工業の産物である金属やガラスを多用した。それは、表面的なデザインのみを模倣した安価な大量生産を可能にした。量産性に基づくアール・デコは世界中に広まった。しかしながらアール・デコの幾何学形態は、工業化の特徴である合理性・機能性の追及によって生まれたものではなく、むしろアール・ヌーヴォーと同じく装飾を重視したものであった。
アール・デコが特に受け入れられたのは、工業大国アメリカであった。クライスラー・ビル(W・ヴァン・アレン、ニューヨーク、1928)はアール・デコによる摩天楼の最高傑作のひとつである。
クライスラー・ビル
アール・デコが定着したアメリカにおいて、建築の形態が画一的なものになることに対して危惧を抱いたのが、フランク・ロイド・ライト(1867~1959)である。ライトは、建築は有機的でなければならないとして、工業技術と合理性を受け入れながらも自然的な装飾を多用した。彼は20世紀の三大巨匠の一人として数えられている。旧帝国ホテル(愛知県犬山市、1922)は日本における彼の代表的建築物である。
フランク・ロイド・ライト
旧帝国ホテル
ライトはアール・デコの無機性を批判したが、その装飾性を否定したのが同じく三大巨匠の一人であるル・コルビジェ(1887~1965)であった。彼の主張は「住宅は住むための機械である」というものであり、伝統的な建築様式を無視しあくまで合理性と機能を重視したのである。彼の新たな建築様式はサヴォア邸(ポワシ―、フランス、1928)によって確立された。そして、近代建築の潮流はライトではなくコルビジェの主張をその軸としていくのである。ちなみに建築を大地と伝統から解放したピロティは彼の創作である。
ル・コルビュジエ
サヴォア邸
三大巨匠の最後の一人は、ミース・ファン・デル・ローエ(1886~1969)である。ミースは、機能性と合理性の追求という点においては、ル・コルビジェとその意を等しくするものであったが、コルビジェが既存の建築様式を無視しながら既存の建材を多用したのに比べ、ミースは工業の産物をその建材として用いた。ガラスと鉄を主とした彼の建築物は、また様々な試みがなされている。代表作ファンズワース邸(イリノイ州、アメリカ、1951)では仕切りの壁をなくすことによって、部屋という概念を排し、それによって多目的に使える「ユニバーサル・スペース」という空間を作り上げた。既成概念の排除、そして工業と芸術の並存を成し遂げた彼の業績は大きい。
ミース・ファン・デル・ローエ
ファンズワース邸
コルビジェやミースによる機能性の追及、工業と芸術の融和は、受け継がれモダニズムと呼ばれるようになる。特にミース的な鉄とガラスによるオフィスビルは、経済的、社会的な背景のもとで世界中に広まっていった。
しかしながら、モダニズムは機能的であるものの無機質、画一的であるため1950年代後半になると見直されるようになる。やがてそれを支えてきたコルビジェやミースといった建築家らが次々と世を去ると、この傾向は決定的なものとなった。
その一方で急速な技術革新を軸に構造表現主義と呼ばれる思想が起こった。この特徴はシェルなどの架構構造によって大空間をおおうことで、流動的で躍動感のある空間を作り出すことにある。
1960年代になると既成の権力や概念に対する反抗が世界規模で起こり、そういった社会的背景があらゆる分野における芸術に影響を与えた。建築においてはポスト・モダニズムと呼ばれるものである。ポスト・モダニズムは、モダニズムの特徴であった純粋な機能性の追及という面を排し、建築形態の多様性や地域性、象徴性をその特徴とする。近代建築だけではなく建築を構成する様々な要素に対してまで改革の手が伸びたこの運動は、建築のあり方を大きく変えることになった。
しかしながら、冷戦構造の終結による資本主義に対する抵抗の意味が無くなったことによって、ポスト・モダニズムもその衰退を余儀なくされた。加えて情報化社会における多岐、多様性も相まって、建築界のみならず芸術界一般において、あらたな指標が立っていないのが現状である。
明治時代に入ってから、日本は西洋の建築様式を導入してきたが、大正時代においてようやく、アール・ヌーヴォーなどの西洋における新たな芸術運動の影響を受けることに至り、特に若手の建築家たちによって芸術性の高い建築様式が試みられた。
この日本におけるモダニズムは、昭和初期から第二次世界大戦までの軍部の台頭、国粋主義の中で一時的に中断されてしまったが、戦後、高度経済成長期における日本経済の発展によって、こういったモダニズム建築は再度活性化することになる。
モダニズムからポスト・モダニズムへの移行という世界規模の芸術運動に、日本も無関係ではいられなかった。しかしながら、それが日本へ浸透したのは、1980年代であった。磯崎新(1931~)によるつくばセンタービル(茨城県つくば市、1983)は日本におけるポストモダニズムの傑作のひとつである。
磯崎新
つくばセンタービル